「cafe -sweets」210号「いい店、いい話」

2月3日発売の「cafe -sweets」210号に、カフェくわじまのことが掲載された。全国1000店以上のカフェを取材されている川口葉子さんに、こんな風に感じていただき、とても嬉しい。

「いい店、いい話/カフェくわじま」
 旅にロマンティックな幻想はつきもので、未知の都市にも、旅する自分の成長にも甘い期待を抱きがちですが、人生観を変えるような旅なんてそうそうあるものでしょうか?
 ありますよ、と気負わずに教えてくれたのが金沢で出会ったカフェ「くわじま」でした。
 金沢のひがし茶屋街には、石畳の通りの両脇に築150年を経た風情ある茶屋建築が並び、人気の観光地となっています。そんなエリアでカフェ散歩するときの基本は、にぎわうメインストリートから外れて裏通りを歩くこと。それこそが素敵なお店に遭遇する近道なのですから。くわじまにはそんな散策の途中で遭遇したのでした。
 入り組んだ路地に現れた、古い家屋を守っているかのような板塀。その上に顔をのぞかせる紅殻塗りの外壁。藤蔓を絡ませた下地窓の風情。庭先の堂々たる松の枝。どこか艶っぽく謎めいた、心惹かれる佇まいです。
 暖簾をくぐって玄関に入ると、落ち着いた雰囲気の畳の間が続いていました。「おばあちゃんちに来たような」とは、古民家カフェを語るときの常套句ですが、くわじまは正真正銘のおばあちゃんの家です。金沢出身の店主、桑島雄三さんは、祖母の俦子さんが暮らしていた昭和初期の家を改修し、2017年に週末のみ営業するカフェを開いたのです。
「元はひがし茶屋街の芸妓さんの住まいとして昭和初期に建てられたものです」
 桑島さんは飾らない穏やかな口調で話してくれました。
「祖母は昭和30年代にこの家を購入して移り住み、茶屋街の芸妓さんに小唄や三味線を教えていました。祖母が亡くなってからは母が茶道教室の場として使っていましたが、その母も亡くなりました」
 当時、桑島さんは東京に自宅を構える会社員でしたが、空き家となった金沢の祖母宅でカフェを開業する計画と、スペイン徒歩旅行の夢が膨らんでいき、61歳で退職を決意。プランの実現に向けて動き始めました。
「祖母と母が愛し、地域の人にも親しまれている建物を維持したい。そのためにカフェにしようと考えたんです」
 もうひとつ、スペインでカミーノ巡礼の道800キロを歩こうという夢の端緒は、高校時代に金沢ゆかりの作家、五木寛之の『スペインの墓標』を愛読したこと、そして単純に歩くのが好きということだったそう。思いきって自由を満喫してからカフェという新世界へ飛び込む心づもりだったのかもしれません。
 退社2か月後に夢を実現した桑島さん。バックパックを背負ってスペインを旅している間に、世界が善意であふれていることに気づいたといいます。
「よくカード入りの財布を置き忘れたり、音楽プレーヤーを落としたりしてたんですが、必ず誰かが『これ、きみのだろ?』って届けてくれるんです。マメができて足を引きずっていたら、ドイツ人の青年医師が無償で治療してくれたり、健脚のおじさんが『砂利道を歩くより刈り取ったあとの麦畑を歩こうよ』と言って半日いっしょに歩いてくれたり。東京の街角では誰かの不機嫌や意地悪にぶつかることが多いし、カフェ開業準備中に『海外からのお客さんは無作法だ』などという話を聞いて不安になっていたんですが、毎日毎日さまざまな人の善意に触れ続けているうちに肩の力が抜けました。言葉がわからなくても、身ぶり手ぶりで気持ちは充分に通じますね」
 道中、出会う人々との距離をぐっと縮めてくれたのが似顔絵描きでした。若い頃に漫画家を志したことがある桑島さん。恥ずかしさを捨てて会う人ごとに似顔絵を描いてあげると、みんな笑顔で接してくれたそう。
 帰国後に開業したカフェのメニューには、加賀野菜を添えたカレーやコーヒー、加賀棒茶などとともに「似顔絵」が加えられています。私も描いていただきました。タブレット上にペンを走らせること数分。完成した絵は、似ているような、いないような……「打率2割です」と笑う桑島さんですが、おそらくは優しさが実物より麗しく描かせてしまうのですね。
 古い家のリノベーションにあたっては、坪庭に面した十畳の和室を中心に、なるべく手を加えることなく昭和の暮らし、芸妓さんの暮らしの面影を感じられるように整えました。そのためなのでしょう、きれいに片付いていても店舗というよりは生活空間のように感じられ、いまにも粋な着物姿のおばあさんが奥の和室からひょいと現れそうな気配が漂っているのは。
 ただし、書庫や廊下の本棚には桑島さんの趣味のコレクションがずらり。初期からほぼ揃っている「ガロ」や、つげ義春の作品集など、60~70年代のコアな漫画の宝庫です。
 ゆったり流れる時間とレアな漫画に惹きつけられて、地元の若い人々もいつの間にか常連客となり、障子の張り替えを手伝ってくれたり、その中の友禅作家が県知事賞を受賞したお祝い会を開いたりと、楽しいおつきあいが続いているそう。
「若い頃は地元の密な人間関係がわずらわしくて東京に出たのですが、この年齢で戻ってきた金沢は、不思議と心地よく感じられます。近所のおばあちゃんたちが『この家、一度入ってみたかったんや』と来店してくださったり、外を掃除していると『あんた、昔この家に遊びに来ていた子やろ? 覚えてるわ』と声をかけられたり」
 次の世代へ受け継がれていく家と、人のつながり。毎度いきなり「今日やるぞ!」と現れる、祖母の代から庭の手入れを依頼してきた庭師さんとも打ち解けたようです。巡礼の旅で受け取った無数の優しさを、桑島さんはカフェでの温かな交流を通して無理なく人々に返しているようです。